
リオ篇 2週目
1月19日|1月20日|1月21日|1月22日|1月23日|1月24日|1月25日
1月19日(月)
 朝から快晴。若手歌手マルシオ(主にセレスタなどの古典曲が得意)の案内でコルコヴァードへ。あのキリスト像のたつ山頂へはふもとから登山電車でのぼる。電車代は往復で約1,100円。やはり観光地価格かなと思う。
電車は森につつまれた急勾配の線路を進み、時々木のすきまから海や空が見えてわぁっと歓声があがる。山頂駅へつくと、そこから階段・エスカレーターを利用していよいよキリスト像の前へ。思ったよりもずっと大きい!
また、雲ひとつない快晴ゆえ眼下にひろがる眺望の素晴らしさったら…そしてこの素晴らしい快晴のため、この日着ていた服の形に見事な日焼けを残したのでした。一か月たっても赤かったです(涙)。
1月20日(火)

今日はTさんのご案内でクララ・ヌニェス劇場へ。この日からトータルで5回、毎週火曜の夜にショーロのコンサートが行われるのだ。5枚つづりのチケットで約1500円。1回ずつ買うよりもずっとお得だ。
コパカバーナから車で10分ほど走ると、ラゴア(湖)に近いショッピングセンター内にこの劇場はある。ショッピングセンターといえばお買い物!しかしTさんは男性だったため、あまりその方向に走らずに終わる。
ホールでショーロが演奏されることは珍しい。演奏された曲も、今回の企画者でギタリストのマウリシオ・カヒーリョによるアレンジ、オリジナル曲がほとんどで、 演奏者全員が楽譜をみているのもアカデミックな雰囲気。
出演者はマウリシオと共に2004年4月に来日したペドロ・アモリン(バンドリン) & ルシアーナ・ハベーロ(カヴァキーニョ)、ほかにマルセロ・ベルナルデス(フルート。シコ・ブアルキのバックを長年つとめた)、ペドロ・パイス(クラリネット)、フイ・アウヴィン(バスクラリネット)。素晴らしく、そしてアカデミックな演奏でした。会場の緊張感がとけたのが終演後にロビーで行われたホーダ・ヂ・ショーロ。今日の出演者も含め、ものすごい数のミュージシャンが輪になっての大団円。ホールなのに全部終わった時は12時をすぎてました。みなさんお元気ね…。
1月21日(水)

休日。近所の商店街を散歩し、パン屋でパルミット(ヤシの若芽)の入ったパステルという揚げ物と、鶏肉入りのパンを買う。でも味は…イマイチ。サンパウロでの食べ物は全然ハズレがなかったのに、ここで美味しいパンを探すのは大変でした。
夜になってギターのホジェーリオに電話をする。先週ライブで一緒に弾いたときの感触が忘れられず、週一回一緒に弾くだけでは物足りないと思ったから。とにかく一緒に弾きたい。辞書をひきひき言うことをノートに書いて、ドキドキしながら宿の一階にある公衆電話へ。
携帯電話に出たホジェーリオはこちらの言ったことはすぐに理解してくれた。でも彼が言ってくることはさっぱりわからない。ちょうど電波が悪かったらしく一度切れたので、これは!と部屋へ引き返し、一緒に旅していた歌手の片山淑美ちゃんにお願いして再び交渉。以前からポルトガル語経験のあった淑美ちゃんはさすが。結局2時間の出張レッスンという形で、翌日から来てくれることになったのでした。ちょっと緊張ぎみで就寝。淑美ちゃん、ありがとう!
1月22日(木)

お菓子など用意してみる。いつもよりちょっと念入りに部屋を片付けてみる。
ホジェーリオが住んでいる場所は、リオの中心街からは海を渡るニテロイ(海上高速道路か船を利用)。コパカバーナからニテロイへ通うのは車があってよほど住み慣れていないと難しいという。彼は仕事でしょっちゅうリオに来るから、と快く出張レッスンを引き受けてくれのでした。
レッスンといっても、私のレパートリーをとにかくひたすら一緒に弾いてもらう。問題は言葉(帰国後の今、この頃の録音MDを聞くとほとんど全くといっていいほどしゃべれていない。ホジェーリオはよく耐えてくれたものだと感謝を新たにしてしまう)。それでも、一緒に音楽していると楽しくて2時間はあっという間にすぎていく。ライブの前に彼はどこかへ行くらしく、夜に『ダーマ・ダ・ノイチ』で落ち合うことに。
こちらも夜のライブ前にTさんと共にセントロの路上ライブへ。道の中央にテーブルと椅子をおいて、そこで飲み物を飲みながらショーロ演奏を聴ける。ここでもカンジャとして演奏。クラリネットのフイ・アウヴィンもやってきて、何曲か一緒に演奏。フイはポルトガル人だが小さい頃からブラジルに住んでいる。
ここでゆっくりしてしまったため、フイの車で『ダーマ・ダ・ノイチ』に着いた時はライブ前半はすでに終了、メンバーから「散歩してきたの?」と言われる。ブラジル人に遅刻を指摘されてしまったのでした…。
1月23日(金)

今日もレッスン。ここから帰国まで、週2回ペースでのレッスン生活が始まる。
昨日のレッスンで学んだ事。まずコーヒーはカップに少なめに注ぐこと。そして砂糖は多めに用意すること。ブラジル人の習慣だそうです。
この日「もし2月の終わりまで滞在できるなら、アジェノールのCDの録音に参加できるんだけど…」と言われる。なんと光栄な!!なんと嬉しいこと!!…でも、私の帰国はカーニヴァルで諸々の値段が高騰する2/21より前の予定。
むむむぅぅ。こんなとき、なかなか簡単に答えはだせないものだ。予算の問題もあるし、2月末には東京での本番やショーロの練習会もある。
うむむむむうぅぅ。悩んだ末、東京の母に電話。お金は足りなくなったら送るから、と背中を押してもらう。本番とショーロ練習会の方もそれぞれ関係者に連絡し、快くOKしてもらい滞在延長を決意。皆さま本当にありがとうございました。
1月24日(土)

今日は大物怪物ギタリスト・ヤマンドゥの誕生日パーティ。「いいミュージシャンが沢山集まるから来なさい」とホジェーリオにすすめられ、コパカバーナから遠く離れたヘクレイオという土地へ。ヘクレイオに行くにはまずバスでバーハ・ショッピングまで行き、その後はタクシーで向かわなければならない。
悲劇は最初のバスで起こったのでした。宿近くのバス停から乗り、すぐに料金を支払い右手にバッグを持ち、左手にお釣りを受け取ったその瞬間、猛スピードで走っていたバスが急ブレーキで停まり、私は背中からものすごい勢いで床に叩きつけられたのです。
背中には楽器をしょっていました。左腕は痛み、ショックで頭の中は真っ白になり起き上がれない。すぐさま近くのバス停から乗って来た青年が小銭を次々と拾い集め、私の体を優しく抱き起こしてくれた。運転手も車掌も心配はしてくれたけど、心配するならあんなスピード出さないで〜!
バーハ・ショッピングに着いてバスを降りる時、車掌が親指をたてつつ「大丈夫か?」と聞いてきたので泣きそうになりながら親指をたてて「大丈夫」と答えましたが、大丈夫ではなかったのです。タクシーに乗り換えて楽器のケースを開けてみると、魂柱(表板と裏板の間に立ち響きをつくる木の柱)が表板をつきさし、楽器はまっぷたつに割れていたのでした。もはや修理不可能。
やっとの思いでパーティ会場に着き事情をホジェーリオに話すと、フランス人ヴァイオリニスト・ニコラが「僕のを使って」と優しい笑顔で楽器を手渡してくれた。すでに行われていたホーダ・ヂ・ショーロの輪に入り、数曲ショーロを演奏してあとはニコラにバトンタッチ。聞いていたとおり有名人がわんさかいて「トリオ・マデイラ・ブラジル」のゼー・パウロ・ベッケル(ギター)、バンドリンのアミウトン・ヂ・オランダ、ルシアーナ・ハベーロ(カヴァキーニョ)、大物サンバ歌手のバックを多くつとめるジルセウ・レイチ(フルート)、「ノ・エン・ピンゴ・ダグア」のマリオ・セーヴィ(クラリネット)などなど。
でも一度返した楽器を「また貸して」とは言えず、なんだか手持ちぶさた。そしてニコラはとても親切に「リオにある楽器屋を知っているから明日電話して」と言ってくれました。
パーティの後は車でラパの『カリオカ・ダ・ジェンマ』へ移動。タニア・マシャードという女性サンバ歌手のライブでホジェーリオやセウシーニョたちがバックをつとめるのだ。楽器があれば弾く予定だったのに…セウシーニョに「楽器を持っているときはタクシーじゃなきゃ駄目だ」とおしかりを受ける。ごもっともで。傷心のまま3時頃帰宅。
1月25日(日)

とりあえずネットカフェに行ってみる。でも「ヴァイオリン販売」で検索をかけてもヒットするのはサンパウロのお店ばかり。う〜む、本当にリオに弦楽器のお店があるのかな?
ここで説明しておきますが、ヴァイオリンと言ってもブラジルに持っていったのはオモチャ並の超安物に手を加え、なんとか音を出せるようにしたもの。決して高級なものではなかったのでご安心を。…とは言うものの、一緒に日本を発ち、一緒に数週間過ごした楽器。愛着はあったしヴァイオリンのあんな姿を見たのは初めてで、本当に悲しかったです。
午後になってニコラに電話。するとセントロに一軒だけあるという。なるほど日本でもそうであるように、マンションの一室を借りて看板を出さず、宣伝もあまりせずに弦楽器工房を営んでいるのだ。もしも昨日のパーティにニコラが来ていなかったら見つけることはできなかったと思う。本当にもう、大恩人です。明日の朝一番でセントロに行くことを決意し、就寝。

|